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【学校の階段 (10)】先の先にあるもの

学校の階段 (10) (櫂末高彰)

 とりあえず、神庭幸宏がどれだけみんなに愛されているのか、という事は良く分かりました。あと、渡辺と吉田の名前がこれまで全く出てこなかった理由も。でも、なぜ走るのか、という問いに対する答えは明示的には書かれていない。



書評


評価:☆☆☆☆☆

 とりあえず、神庭幸宏がどれだけみんなに愛されているのか、という事は良く分かりました。あと、渡辺と吉田の名前がこれまで全く出てこなかった理由も。でも、なぜ走るのか、という問いに対する答えは明示的には書かれていない。

 社会不適合者の時代を経ながらも曲がりなりにも社会人になって数年が経つが、乏しいとは言えいくらか経験を積んでくると、全く新しい仕事に対しても何んとなく見切りが出来るようになる。別に武道の達人の話ではなく、新人の頃はどんなつまらない仕事にも真正面から全力で取り組んでいかないといけない様な気がするのだけれど、そのうち、要所要所をきっちり締めさえすれば所々手を抜いたとしても無難に仕上げられる、という事が理解できるようになり、さらには事前にどこが要所なのかを知る事が出来るようになる、ということだ。これが悪い方に進むとお役所仕事になるのだけれど、全くできないと、どこかでボキッと折れるという事態になりかねない。
 この、見切りを会得できた(気分でいる)のは、初めの頃、死ぬ気で仕事に取り組んだおかげだと思う。今から見れば無駄のように思えることでも当時は無駄ではなかったし、現在を築くための礎になったのだと思えばやはり無駄ではなかったのだろう。一方で、初めの頃に手を抜いて生きていたとしても、今でも適当に生きていられるような気もする。結局どちらが正解なのかは未だに分からない。

 刈谷圭吾はどうやら彼自身の答えにたどり着いたようだ。そしていずれは神庭幸宏も答えにたどり着く。果たして読者は自身の答えにたどり着く日が来るのだろうか。

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